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8.旅68日目 7月7日(火) 三重県紀北町(海山)

午前4時50分に目が覚めてまずしたのが、ケータイでの天気情報のチェックだった。ヤフーで該当ページを開き、今日の時間帯予報に目を落とす。12時から15時までに傘マークがついているものの、それ以外は雲マーク。続いて明日の予報に目を移すと、一ヶ所だけが傘マークで後はすべて雲マークだった。
行くなら今日しかないと思った。結局梅雨のこの時期、丸一日雨の降らない日なんてほとんどあり得ないことにようやく気づいたのだ。ならば多少濡れることを覚悟し、それでも降雨の時間帯ができる限り少ない日に進むしかない。今日がその日だと思った。そうじゃなければ、いつまでたってもここから抜け出せやしない。
テントから覗かせた顔を上げると、空一面の曇り空だった。しかしいつもより雲の灰色は薄く、山にかかる雲も少ない。これならしばらくはもつのではないかと思った。
ところが目視では確認できなかったが、橋の下を出て手のひらを上に向けてみると、ごく微量ながらも雨が落ちていることに気がついた。
うわー、マジかよ。わたしは思わず天を仰いだ。頭の中ではすでにペダルに足をかけていた。あとはその足を強く踏み出せば、というところまでわたしの決意は固まっていたのだ。それなのに……。途中で降りだせば諦めもつくが、ほんのちょっととはいえ、雨の中をわざわざ走り出そうなんていう気、やはり今のわたしにはない。そもそも、旅の期限も決まっていないし、紀伊半島を回り終えることにも別段執着していない。そういったことが、いつまでもこの地にわたしを留まらせていたことは明白である。仮に追い立てられるような明確な理由があれば、とっくの昔に発っていただろう。
決断が下せぬままとりあえず待機するも、気持ちが落ち着かない。そうすぐに変わるはずもないのだが頻繁にケータイで予報をチェックしたり、外に出て空を見上げたりする。
そんなことを三回ほど繰り返したところで、10メートルほど離れた場所に、自転車にまたがった60がらみの男性がいることに気がついた。テントのジッパーを下ろし、ぼんやりと外を眺めていたら目が合った。
こんにちは、と挨拶するも無言だったのでジッパーを閉めそのまま横になると、しばらくして今度は向こうから声をかけてきた。なんでも、何度か来たのだが、テントの主であるわたしの姿を一向に見かけることがなく、何かあったんじゃないかと心配していたそうである。
テントから出て、お互い自己紹介。近所に住んでいるというこの男性は、吉男さんという名前で、絵描きを生業としていた。
そしてしばらく雑談をしていると、なんか知らんけど一緒に絵を描くこととなった。気がついたときにはベンチに腰を下ろし、吉男さんの手ほどきで、鉛筆、水彩絵の具を用いてハガキよりひと回り大きいサイズの紙に目の前に広がる海山の風景を描いていた。
絵は大の苦手なので正直気乗りはしなかったのだが、断るのも面倒だったので付き合うことにした。で、やってみるとこれが意外と楽しいというか、奥が深いというか、ちょっとしたコツがあるというのがわかった。吉男さんのご教授のおかげで、これからはわたしももうちょっとマシな絵を描けると思った。

自転車で走り去っていく吉男さんの後ろ姿を見送る。気がつくと、いつしか雨は本降りへと変わっていた。地面を叩く雨音が聴覚を刺激し、起きたときより大きくなった水溜まりには、細かい水紋がお互い重なりあうようにして密集している。
今朝、出発しなくて本当によかったな。結果的にはなし崩し的だったとはいえ、わたしは自分の下した判断にホッと胸を撫で下ろしていた。気乗りしない気持ちを押し切ってまで走り出していたとしたら、きっと今頃、峠辺りの坂道でずぶ濡れになりながら半べそかいていたことだろう。
さて、どうなるのだろうか……。テントの中で仰向けになったわたしは、天井を見上げながら我が身の行く末を案じた。この先しばらくは曇りの予報が続いている。とはいえ、決して雨が降らないわけではなく、やはりそれなりの雨は覚悟せざる負えないないだろう。
まるで猫の目のようにクルクル変わる、ヤフーの天気予報に目の前の天候。それらに一喜一憂することに、正直、わたしは疲れ果てていた。きっと梅雨の期間中は、こんな心理状態がずっと続くのだろう。
はーっ。出るのは重いため息ばかりだ。
仮によしんばここをうまく脱出できたとしても、この先の展開は同じだ。結局、梅雨明けまではことさら天候を気にしての移動を余儀なくされる。
一番いいのは、梅雨明けまでここに停滞することだろう。すっかり住処になった橋の下なら、雨に濡れる心配はない。一方、ここから一歩出て移動を開始すれば、「今日は無事に雨を凌げる場所が見つかるのだろうか……」という気の重くなる不安が梅雨の間、絶えずつきまとうこととなる。そう、この鬱陶しい梅雨さえなくなってくれれば、確実に雨の日はグッと減り、頭の痛い日々からは解放されるだろう……。
そうなると、「梅雨明けまで停滞」という、昨日から頭の中をさまよい始めたアイディアがいよいよ現実味を帯びてきた。
ただし、例年の東海地方の梅雨明けは7月21日である。つまり、あと2週間もあるのだ。しかもどこかの気象予報士の見立てによれば、今年は1週間ほど遅れるそうである。
昨日も書いたように、ここでの「生活」にはさして問題はない。問題なのは、わたしの精神面だ。道の駅とテントの往復、そしてスーパーの買い出し。そんな変わり映えのしない毎日に、果たして2週間、いや3週間もわたしのメンタルが持ちこたえられるかどうか。
ふーっ。ひとつ大きく息を吐く。
寝返りを打ちながら、さらに考えを巡らしていく。やはり、これはわたしの課題ではないだろうか。「今置かれている現状に不平不満を漏らすのではなく、ただただそれを受け止める」という。早い話、悲観的ではなく、いかに楽観的に考えられるか。「2週間、3週間停滞したってどうってことないだろう」と、ここで過ごす無為な日々は、自分の旅の大勢には影響がないことを実感するためにきっと必要な試練みたいなものなのだ。ある意味、自分が最も苦手とする忍耐力をつける作業。きっと今自分がやるべきことはこれなのだろう。そう自分に強く言い聞かせる。
「おーい!」
そんな思案に耽っている中、突如、テントの向こう側から大きな声が飛んでてきた。吉男さんだ。実は、先ほど別れ際に鹿肉をご馳走してくれるという約束をしていた。
自転車の荷台からフライパンや登山用のガスストーブといった調理器具、そしてビニール袋に入った鹿肉をテキパキと降ろした吉男さんが、火のついたガスストーブにフライパンを載せ、油をサーっと引き、鹿肉と玉ねぎを軽く炒み始めた。仲間内でよくキャンプをし、自身も好きということもあり、料理は手慣れているそうだ。
吉男さんの収入源の柱は週二回行う絵画教室。残りの5日はすべてフリータイムで、自宅の修繕や読書、仲間同士での宴会、アルバイトなど、すべて自分の自由に使っている。夏になると魚を買うことはなく海で釣り、衣服はすべて貰い物で賄っているそうである。決して金銭的には恵まれているとは言えないが、その慎ましやかな暮らしぶりを楽しんでいる雰囲気が吉男さんからはヒシヒシと伝わってきた。
そしてまた、その自由度の高い吉男さんの暮らしぶりに、時間に追われることがとっても苦手はわたしは、いたく共感していた。世間一般的な生き方がすべてじゃない。何もあくせく働かなければ生きていけないわけではない。人生、いろいろなスタイルがあっていいのだ。
それは旅も同じだ。できるだけ移動を速く済ませ、パンフレットやガイドブックで紹介されている観光地だけを巡り、その他の時間はブログに充てる。そんな効率重視なメインストリームの旅がある一方、気の向くまま、のんびりと、行き当たりバッタリ、出たとこ勝負といった気分を重視するわたしみたいな旅もある。
わたしの旅の大きな目的のひとつに、吉男さんみたいな世間の枠に囚われることのない人たちとの出会いがある。こういった人たちと触れ合うことによって、自分らしい、自分に合った生き方をより明確化にし、構築していくのだ。
豊かな旅ってなんだろう?豊かな人生ってなんだろう?
今一度、そんな疑問を吉男さんから突きつけられたような気がした。
はじめて口にした鹿肉は、思っていたよりクセがなく、むしろ淡白だった。塩胡椒といった味付けが施されているおかげか、思いの外、箸が進む。せっかく振る舞ってくれたのを遠慮するのも申し訳ないこともあり、たらふく食べた。と言っても、苦手な玉ねぎは一切手をつけませんでしたが。
食後はまたもや個人レッスン。今度は、ボールペンとクレヨンを駆使した指導を受ける。生徒さんに教えるだけあって、技法の指導には強い説得力があった。その人の感性にだけ頼って描けばいいと思っていたが、きちんとした基礎がないとダメなんですね。おかげでよくわかりました。
吉男さんが帰ったあとは、テントの中でケータイをいじったりしてゴロゴロして過ごす。
時刻は午後3時を回っていてこの時間から外に出るのは億劫に感じたものの、ケータイの予備のバッテリーやエネループの充電が心許ないので、やはり今日も道の駅まで出掛けることにした。
国道に出た途端、ここ数日の肌寒さがウソのようにモワッとした空気に包まれた。肌にべっとりと全身にまとわりつくような蒸した空気に不快を感じる。
雨はすっかり上がっている。太陽の姿は見られなかったものの、珍しく空は一週間ぶりとなる明るさ取り戻していた。

道の駅では素敵な出会いが待っていた。
到着して早々、嫌でも目に飛び込んできたのが、荷台の両側から大きなスポーツバックがぶら下がるママチャリ。そばのベンチでは、持ち主らしき若者が寝袋を広げていた。
声をかける。関西の某大学に通うという日本一周中の小城くん。一年間学校を休学して自宅のある京都を出発。ちょうど今日で記念すべき100日目を迎え、すでに東日本を回り終えていた。紀伊半島をぐるっと回ったあとは一旦、自宅に戻ってから、残りの西日本、まずは山陰に向けて走り出すそうだ。
外のベンチに腰を下ろし、小城くんが持参した地図を借り、マジックでその日のルートがなぞられた北海道のページを見ながら、宿泊場所を尋ねたりして、まずは北の大地の話に花を咲かせた。小城くんが三重県入りしたのは一週間前。どうやらここ海山町だけでなく、三重県全域で雨が降り続けていたよう。それなりの雨降りの場合には停滞する小城くんは、、連日の雨で思うように距離が稼げないと嘆いていた。
とっても面白かったのが、二人とも鳥羽と志摩の図書館で過ごしていたこと。さすがにこれにはお互い顔を見合わせ目を丸くして笑い合った。とくに明治時代の洋風建築を思わせる志摩の図書館の外観の特徴を口にすると、二日間DVDなどを観るなどして利用した小城くんが、「そう、そう」と楽しそうに頷いたことが、打てば響くように理解してもらえるのがとっても楽しかった。
その後、珍しくわたしがご馳走しようということで、道の駅にある食堂に場所を移しておしゃべり。道の駅が閉まったあとは、ベンチで続き。結局、夜の9時近くまで大いに話が盛り上がった。そしてわたしは、後ろ髪を引かれる思いで道の駅を後にした。

暗がりのテントの中。久しぶりの旅話ができた充実感の余韻に、ひとり浸っていく。
わたしと小城くん。この出会いはきっと、お互いがお互いを引き寄せることによって生まれたんだろうと思う。
ただ天気が回復するのを待つだけという、取り立ててすることのない、海山でのわたしの滞在もとうに一週間が過ぎている。寂しいという自覚症状はわたしの中にはなかったが、ひょっとしたらそれに近い思いはあったのかもしれない。
一方、連日の雨で思うように進めない苛立ち、また、厳しいアップダウンによる蓄積した疲労。そこへきて昨日は、北海道以来のパンクに見舞われたという小城くんは、旅に出てから最もメンタルがやられていたそうである。
やはり、お互い話し相手が欲しかったんだろう。住む場所も、年代も、職業もまるで共通点が見いだせない二人だが、今だけは同じ境遇、苦楽を分かち合える旅人だ。思う存分共感できて、お互いスッキリし、明日への活力を得ることができたのではないだろうか。少なくともわたしはそうだ。またこのことは、吉男さんに関しても同じことが言えると思う。
この世の中、無意味な出会いなど一つ足りとてない。互いに必要としているから出会うのだ。そこから何を学ぶかはその人次第だし、学んだぶんだけ人は成長していく。わたしがことさら出会いを重要視するのもそういった理由に依るものかもしれない。
そんなことを頭の中で巡らせながら、そっと眠りにつく。
すでに時刻は午後10時を回っていた。
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7.旅67日目 7月6日(月) 三重県紀北町(海山)

丸一週間ずっと雨が降っている。
熊野古道ウォークを無事終えた翌日の先週火曜日から、雨が降らなかった日は一日たりとてない。もちろん24時間降り続けているというわけではないが、わたしの中では、一日のうち12時間は雨が降っている印象である。
先週の月曜の時点でのヤフーの天気情報では、金曜日、そして次の週の火曜日、つまり明日が傘マークの出ていない日だったのだが、あれよあれよと予報が(悪い方に)変わり、結局この一週間ずっと雨となった。明日の火曜日なんて最初はお日さまマークだったのが、4日後にはそれが雲マークに変わり、とうとう昨日の時点では傘マークとなった。
雨が上がるタイミングを見計らって移動する手ももちろんないわけではなかったが、数時間後には当然のようにまた雨が降りだす。雨中での移動を余儀なくされることは目に見えているのだ。わざわざ雨の中を走ってまで先に進む理由、今のわたしにはどこにもない。正直、停滞(滞在ではない)3日目あたりには旅の続行が危ぶまれるほどまでに心が病んでいた(ちなみに今回の旅では、松阪、伊勢でも同じように精神的に苦しい時期があった)。心の中では、先に進みたい気持ちが溢れんばかりに充満している。でも雨に濡れてまで移動したくはない。その狭間で葛藤し、うまく消化できなかったのである。
いろいろ内観していった結果、わたしのこの苦しみの原因は、この連日の雨降りという現状を受け入れることができず、問題視していたことにあると気がついた。
つまり、こうして不本意な上に無為に時間を過ごしていることが、自分にとってとてつもなく悪いことだと、ネガティブに捉えていたのである。
しかし本来中立である物事は、それ自体に意味はない。意味を与えるのは、その人自身。肯定的な意味を与えることも否定的な意味を与えることもできる。そして肯定的な意味は肯定的な、否定的な意味は否定的な、それぞれ結果を得ることとなる。
つまりこの半ばウツ状態の解決法としては、今のこの状況を否定的に捉えるのではなく、肯定的に捉えることである。
停滞することがよくないことと考えずに、今のこの状況をしっかり受け止め、たとえば、「おかげでのんびりできるし」とか、「長い人生のうちのたかだか一週間、どってことない(冷静になって考えてみれば実際そうであろう)」と肯定的に捉え、「どんな状況になろうとも結局は大丈夫」と、自分自身を信頼することだ。
そうやって考えてみると、見えなかったものが見えてくる。(追い出されない限り)雨の当たらない橋の下で泊まり続けることができるし、食料はスーパーで得ることはできるし、道の駅の多目的トイレを拝借して体を綺麗にすることもできるし、出た洗濯物は街のコインランドリーで洗うこともできるし、ケータイは(本当はよくないことだが)道の駅で(こっそりと)充電できるのだ。その中でも、泊まる場所は人がまったくと言っていいほど姿を見せることのない橋の下だから長居できているというもの。仮に管理人のいる可能性が高い公園などではこうはいかなかっただろう。きっと雨の中をあちこち転々とする羽目となっていたはずだ。つまり、今いる環境がどれほどまでに恵まれているかということに気づく。
現実は100%自分が創っているから、今のこの状態も100%自分が創っている。つまり今置かれている状況は100%自分に原因がある。きっと今回のことは、そういった「現状を受け止める」ということしなさいと、宇宙からだとか、神からだとかに改めて言われたのだろう。
わたしの今回の旅の大きなテーマの一つは、「自分が置かれている現状を正面から受け止め、肯定すること」ではないか。伊勢で悶々としていたときに、ふとそんな思いに至った。
数日間ひとつの街に滞在するの(今回はじめてそう思ったのだが)、ひとつそこに理由があるのかもしれない。逃げグセがあるわたし、先に進むことが、「今いる場所が嫌だからもっと快適な場所に早く行きたい」といったネガティブな理由からであることが往々にしてある。つまり、今の場所から逃げたいから先へ進みたいという後ろ向きの欲求だ。しかしそうでなく、「よし、自分はここにいるのが嫌だから先に進むわけじゃないんだぞ」と自分の中でそれがしっかり確認できてから先に進むという作業が今のわたしには必要なことなんだと思う。理想的なのは、「今の環境が快適に感じられてむしろ先に進みたくない」という気持ちになってから移動することである。ちなみに、そうだからといって、「まだいようっと」ということになると、今度は「求める」ことになるのでそれはそれでまたよろしくない。
「求めず、逃げず」という癖をつけることが、今の自分にとって最も大事なことの一つなんだと思う。
こう書いていて今思ったのだが、学ぶべきことを学び終えてそのときはじめて次へと進むことができるのかもしれない。まだいるっていうことはそこでまだ学ぶべきことがあるということではないだろうか。

6.旅60日目 6月29日(月) 三重県紀北町(海山)

梅雨特有のどんよりとした雲が上空を覆う中、午前4時40分に起床。こんなにも早く起きたのは、もちろん楽しみにしている熊野古道ウォークをするためだ。
だというのに、昨晩はなかなか寝付けないでいた。おそらく、中途半端な疲労で体が目覚めてしまったのと、熊野古道への期待感の高ぶりのせいだろう。一度、8時過ぎに眠りに就いたものの一時間ほどで目が覚め、ふたたび意識が薄らぎ始めたのが11時過ぎ。ようやく眠れるなあと思ったら、夜半過ぎから突如、吹き始めた強風でまたもや目が覚めた。バタバタと煽られるテントの中では、熟睡なんて望むべくもなかった。
というわけで、わたしには滅多にない二日連続の活動だというのに、今日も寝不足の中での行動を強いられることが確定した。あーあ。ツイてない。
それにしてもさむー。いくら早朝とはいえ、思わず体をさすってしまうほどなのだ。7月ももう目前だというのに。パニアパックに眠っていたジャケットを引っ張り出して急いで着込んだ。
予想外の寒さに面食らいつつも、素早く撤収作業を終え、道の駅へと移動。ベンチに自転車を立て掛け、動けばすぐに暑くなるだろうと着ていたジャケットは脱ぎ、、徒歩で国道脇の登り口へと向かった。
10分ほど歩くと、目印となる「熊野古道馬越峠」と書かれた大きな看板が現れる。
いよいよ、人生初となる熊野古道ウォークが始まった。

のっけから苔むした石畳が一面に敷き詰められているのには驚かされた。自然石が折り重なるように敷き詰められた美しい石畳を、まるで鉛筆のような細い檜の木がそれらを見守るかのように横に連なっている。わたしは、もっと奥に入ってから現れると思っていたのである。当時には存在しなかったアスファルトの道路と、古人が難儀しながら歩いた古道を、同時に視界に収められるというのがなにやらミスマッチで風情に欠けなる気もしないでもなかったが、それでもやはり感動だ。熊野古道といったらなにはなくともこの風景が目に浮かんでくる。
尾鷲地方の熊野古道の石畳は、大雨による路面の流失や崩落を防ぎ、夏草やシダ類などの繁茂を抑えて道筋を確保することが目的。馬越峠の石畳がいつ頃、敷設されたかは不明ではあるものの、少なくとも江戸時代、紀州藩の街道整備(17世紀・前半)に伴って敷設されたことは間違いないそうである。
年月を重ねて味わいが増した石畳の坂道を、どこからともなく流れてくる湧き水に足をとられないように注意しながら一歩一歩足を前に運んでいく。石はびっしりと隙間なく敷設されていると思ったら、そうでなかったのがなんだか発見。
そして、感動は留まることを知らない。薄暗さもあるのだろうが、苔むした石畳と生い茂る木の葉、そして足元を覆うシダで一面緑の世界が作られていたのだ。わーお。こりゃすごい。
なんだかポスターの写真の中に入り込んだ錯覚を覚えた。
しばし幻想的な世界に身を委ねる。
何度もため息が漏れた。
そしてしばらく進むと、はるか先へと一直線に延びる石畳の道が出現した。石一枚一枚がまるでさざめく波のようだ。わーお。これまたすごい。石畳の川を、今こうして自分が遡っているかのよう。そんな錯覚も覚えた。
古の人たちもここを歩いたかと思うと、なんだか段々とテンション揚がってきた。いつのまにやらわたしの横には、笠を手にしたちょんまげ着物姿の男性がニコニコした顔で歩いている。
「あんちゃん、どこから来たんだい?」
「新潟……いや、越後です」
「そうかい。わしは江戸からだ。お互い頑張って歩こうな」
ふと頭に浮かんできた映像の中で、そんな会話をしてみる。
しばし江戸時代にタイムスリップした。
夜泣き地蔵尊の前でいっぷく。携帯したペットボトルのアクエリアスに口をつける。えも言われぬ心地よさとともに渇いた喉に染み渡っていった。
晴れればまた別のよさがあるのだろうが、曇りの今日はなにやら落ち着いた趣があってこれはこれでよかった。
休日の昨日なら多くの人で賑わっていただろうが、こんな平日の早朝、もちろん今は誰もいない。でもこっちの方がありがたかった。誰に気兼ねすることもなく思う存分堪能することができたからだ。
聞こえるのは鳥のさえずりと川の水流の激しい音だけ。そんな自然が奏でる音に耳を傾けながら、一枚岩の石橋を渡っていく。岩間を縫うようにして流れていく川が実にいい感じ。
しばらく進むと、上空を覆っていた木々が消え去り、いつしか展望が効くようになった。なぜか右側の斜面だけが伐採されている。なんだか夢見心地から覚め、いきなり現実世界に引き戻されたような感覚。
え?もう終わり?名残惜しいなあ。かなり残念かも。
でも石畳の方はまだまだ続いていた。次第に勾配がきつくなる坂道を息を切らしながら、ときには立ち止まりながら黙々と足を前に繰り出していく。ぜえぜえ。はあはあ。うー、けっこうキツイ。
林道が交差するベンチで少休憩。被っていた帽子を取って額の汗を手の平で拭い、乱れた呼吸を整える。何かの鳥の声が無人の山間で気持ちいいくらいに響き渡っていた。
しばし聞き惚れ、疲れた体を癒した。
馬越峠まで15分の看板。残りの所要時間が明確になったことで自然と気持ちが引き締まる。
しばらく進むと道は平坦となり、地面を覆っていた石畳も目にする機会が減っていった。
そして、紀北町と尾鷲市を分ける馬越峠に到着。木々の間からは建物が密集する尾鷲の街を見下ろすことができた。
登り口から一時間ちょっと。わたしは時間をかけてゆっくり上ってきたためこのくらい要したが、普通に歩けば一時間もかからないだろう。ちょっと覗き見のような軽装姿の観光客なら、ここで折り返してもいいと思う。一端ではあるものの、これだけでも充分、熊野古道の魅力に触れることができると思う。

ここから尾鷲の街までひたすら下れば、馬越峠コースを踏破したことになるのだが、ここでちょっとどころか、かなりの寄り道をすることとなる。かかる時間や労力からしてこっちが本道じゃないかと思ってしまう、登山をするのである。登る山は便石山(びんしやま)。そこには「象の背」と呼ばれる大きな岩があり、雄大な景色が眺められるそうなのだ。桑名かどこかのコンビニで『ナントカ(名前失念)ウォーカー』を立ち読みしていたらたまたま目に留まり、馬越峠のついでに登れるとあってここに来る前に決めていた。
水分補給を充分にし、案内板に従い登山道へと分け入っていく。昨日は翌日に熊野古道を控えていたため、いつも以上に体力温存走法を試みていたが今日は別。明日から数日雨ということもありしばらく停滞。筋肉を総動員して登っていく。
前半はともかく後半は思わぬ苦戦を強いられた。次から次へと急登が行く手に立ちはだかるようになったのだ。ちょっとした踊り場のようなところが現れると、まるでそこで休むのが義務かのように一息入れる。
はーっ。思わず絶句。おいおい、これって何かの修行かよ。全然聞いてないよー。明日、いや、もういい歳だから明後日の筋肉痛は確定である。
全身汗まみれになりながら、所々階段がつけられるなどしてわりと整備された尾根伝いを歩くことおよそ一時間、無事登頂。緑の木々の間からは、まるで地面から伸びるようにして巨大な岩が宙に向かって鎮座していた。
そう、「象の背」である。
ここに来るまでは、「象の背中に見える?そんなことないでしょう」、とまるで信じてこなかったのだが、そう思って見れば見るほどそう見えてくるから面白いもん。
灰色の岩の上に足をかけ、平均台を渡るようにして、上げた両腕でバランスを取りながら、「背中」を伝って慎重に一歩一歩前へと進んでいく。というのも、ここの標高は599メートル。背中と呼ばれる平らな部分はわずかしかなく、両側は緩やかなカーブを描きながらストンと下界まで落ち込んでいる。ちょっと足をすべらせようもんならあの世行きである。
わたし、足がすくんじゃいました。思わずしゃがみこみもしました。情けないがこれが現実なのよねぇ。根はビビりなんです。
また、少しでも風が吹いてこようもんなら怖さは倍増する。もうこれがね、生きた心地がしないのですよ。
パンフレットの写真では、腰を下ろしてのんびり景色を眺めたり、中にはポールを手に直立不動で孤高を気取っている人の姿もあったが、とんでもないでしょう。どうしてそんな芸当ができるのか。わたし、象の背ならぬお尻あたりが限界です。
それでもせっかく来たんだからと、這いつくばりながらなんとか一大パノラマを拝んだ。三方を山に囲まれた、尾鷲は右手に、海山が左手に、それぞれの街が広がっていた。波静かなどちらの湾にも何かの養殖筏が整然と、そしてぽっかりと浮かんでいる。というか、ほとんど海と山しか見えませんなあ。
なにより感動で胸を熱くしたのが、雲に霞んではいたものの、昨日通ってきた湾曲した海岸線を見てとれたことだ。見事なまでに山が海へとそのまま落ち込んでいる。リアス式だよなあ。こんな風にまざまざと実感できる。それがわたしにはとっても嬉しいことなのだ。
それにしても、こんな山の頂上でもケータイの電波が三本立っていることが信じられません。試しにやってみるとワンセグも見られた。紀北町のあそこは一体なんだったのか。まったく謎は深まるばかりである。

先ほどまで噴き出していた汗も今やすっかり引き、体が冷えてきたので戻ることに。遅めの朝食を摂ったこともありたっぷり一時間はいた。苦労して登ってきたことだしね。
意気揚々と下っていくも、途中から足がガクガクしてもう自分のものじゃないみたい。休憩のために立ち止まれば今度は足がプルプルするし。
そして、行きと同じ約一時間かかって峠に戻ってきたときにはもうクタクタで、半ば放心状態だった。
さて、今度こそ尾鷲へ。ではなく、実は峠を挟んで便石山とちょうど向かい側に、もう一つの山、尾鷲市街が一望できる天狗倉山(てんぐらさん)がある。先ほどの象の背では、尾鷲の街並みは木々の間からわずかしか望めなかったこともあり、そっちも登ってみることにしたのだ。ここまで来たら悔いは残したくない。わたし、喉元すぎれば熱さを忘れるタイプなんです。休憩したら少し元気が出たし、コースタイムは30分だし。まあ、大丈夫でしょう。
しかし5分で大後悔。さっきよりもさらに厳しい急登となっていたのだ。推定斜度70度。手をついてよじ登らなければならないほどだ。そりゃそうか。少し考えれば当たり前だとわかる。便石山と標高が77メートルしか違わないのに、コースタイムが一時間半も違うのだ。
落ちてこないかと心配になるほど反り返った巨岩を、這うようして回り込んで進めば無事頂上に到着した。
おおーっ。苦労して来た甲斐はあった。今日何度も目にした尾鷲市街が、ここではいちばんよく見えたのだ。臨海部に位置する火力発電所の白い鉄塔が誇らしげにそびえているのが一際目を引く。目の前の巨岩に両手をつき、覗き込むようにしてしばし眺めを楽しんだ。
てっきりここが頂上だと思っていたらどうもそうではないらしい。背後にさらに高い、これまた目を見張るような巨岩が鎮座していることに気づいた。背中から人の話し声が聞こえてきたのでわかった。どうやらそこが山頂のようである。
話し声の主たちと入れ代わるようにして、岩にかかる垂直の鉄梯子を、腰が引けながら恐る恐る昇っていく。「天狗倉山山頂522メートル」の看板が立っていた。でも木々が邪魔して展望がまるできかない。見晴らしは下の方がいいようです。
と思って南側に回ってみたら、紀伊山地が果てしなく広がっていた。おおーっ。まるで緑の海のようだ。息を呑むほどの壮大さにただただ圧倒されるばかりだ。もうすご過ぎて言葉になりません。
山登りが趣味で次回は出羽三山登頂を目論んでいるという、愛知県から来た50代とおぼしき男性とおしゃべり。海外にも頻繁に足を運んでいるらしく、とくにヨーロッパ、とくにとくにフランス、とくにとくにとくにパリがお気に入りとのこと。通算泊数は100は数えるのではないかという。おお。海外もめっちゃ興味があります、わたし。こちらの数々の素朴な質問に気さくに答えてくれた。
その男性と楽しくおしゃべりしながら一緒に峠まで降りる。ここからわたしは尾鷲側、一方男性はわたしが今朝上ってきた海山側へと降りていく。二日ぶりに人といっぱいしゃべったなあ。いやー、いい出会いだった。固く握手して別れた。

素敵な出会いはまだ続く。落ち葉と石畳の交ざる道を軽快に下っていると、下から杖をつきながらはちまき姿の男性が額に汗を光らせながら上がってきた。挨拶すると、尾鷲側から毎日、天狗倉山まで登っていることを教えてくれた。そしてなんと、かつて存在した峠茶屋の経営者の末裔ということも。どっひゃーん。マジですか。
しかも、新聞社やテレビ局からも取材依頼を受ける馬越峠の生き字引のような方でもあるそうだ。もう一度、どっひゃーん。またまたマジですか。
そんな素晴らしい方に出会えるなんて。自分の運のよさを思わずにはいられません。
こうして毎日パトロールのように熊野古道を歩き、怪我や具合の悪くなった方の介抱や世話を行うこともあるとのこと。そのため、北は北海道から南は沖縄まで全国各地からお礼の手紙が届き、また、その真摯な人柄に惹かれてか、毎年のように足を運んでガイドを依頼する方も多いそうである。
自分が愛する熊野古道を守ろうという精神なんでしょうかね。到底わたしにはできそうもないなあ。男性のひたむきな活動にわたしは秘かに深い感銘を受けた。
おそらく70はいっているとは思うのだが、末裔おじさんは実に若々しい。毎日登っているおかげか肌の色艶もいいし、なにより自分の好きなことをしているためか生き生きしている。人間、こんな風に年を取りたいものである。
知らない間に末裔おじさん解説が始まる。たくさんの落ち葉は石畳を守ることに重要な役割を果たしている。落ち葉があるため降った雨が土を削ることを防ぎ、石の固定化を促しているそうなのである。
「そうだ。じゃあこれを見せてあげるよ」
末裔おじさんがポケットから取り出したケータイを操作し終え、わたしの前に差し出してきた。なにかの写真のようだ。画面を覗き込む。
思わず目を剥いた。そこには、石畳の上をまるで激流のように水が流れていたのだ。石の上でバシャンバシャン激しく跳ねている。まるで画面から流水音が聞こえてくるようだ。
「雨が降るとこうなるんじゃよ」末裔おじさんは事もなげにそう言った。
ところでここでわたしは、自分の無知をさらけだしてしまう。尾鷲は日本一とも言われる多雨地帯と小学校の社会科で習っていたため、「尾鷲って日本で一番雨の日が多いんですよね」と、ちょっと得意気に口にしたらそれはわたしの勘違いだったのである。実際は、降雨日数ではなく降水量が多いだけなのだそうである。
「よく間違われるんだけどね。日照時間はあんたらの新潟県よりも多いんじゃないかな」またまた事もなげに言う末裔おじさん。
あちゃー。わたし、恥かいちゃいました。
ところでわたしが登った便石山は、所々、階段にしたため、足に負担がかかるという理由でめっきり登山者が減ったとのこと。末裔おじさんも年に一度くらいしか登らなくなったと、少し寂しそうな目で呟いていた。
末裔おじさんに深く礼を述べ、敷設が海山側よりやや乱雑のような気がしないでもない石畳の道を下っていく。展望東屋でまたまた尾鷲市街を眺め、脇道に入って不動滝を目にし、墓地の間を通ってようやく平地に降り立ったのは午後1時半のこと。約7時間の熊野古道の旅だった。やや不本意ながらも、今回の旅で一番体を動かしたという自負がある。
便石山と天狗倉山のそれぞれの雄姿。そして人との出会いの交差点となった馬越峠。えもいわれぬ充実感を噛み締めながらふと後ろを振り返るとそれらが視界に入ってきた。さっきまであそこにいたかと思うとなんだか信じられない気もする。あんなところまで登ったんだなあ。そう思ったら、更に充実感が湧き上がってきた。
わたしはふたたび視線を前に向け、ゆっくりと歩き始めた。

疲労と眠気に襲われながらとぼとぼと国道へと歩き出す。これから今朝出てきた道の駅まで戻るのだが、ただ戻っても面白くないと思い、ヒッチハイクを敢行することにした。人生で5回ほどと、経験が浅いまだまだ初心者ではあるものの、昨年の旅ではいずれも短時間で3台捕まえることに成功していた。実はちょっとばかり自信があったりする。
もちろんうまくいく保証はないので、万が一に備えて保険をかけておくことにした。素直にバスで戻るのだ。ちなみにタイムリミットは直近のバスの発車時刻である午後2時10分に設定した。たったの15分間なのだがこれも致し方ないのである。なんせその次は4時台。下手したら2時間ポツンと一人で立ちっぱなし。なんていう悲惨な状況になりかねない。さすがにそこまでのリスクを冒す気はないのです。
早速、走ってくる車のフロントガラスに向けて左手の親指を立て何度もアピールする。しかしチラッと関心の目を向けるだけで、結局は「わたしには関係ないね」と目に入らなかったと言わんばかりにそのままブーンと通りすぎていく。
それが数十台繰り返されたところで、タイムアップの合図を告げるバスが現れた。
たかだか15分がこれほどまでに長いとは。もー、永遠に続くかと思った。
停車したバスに敗北感とともに乗り込む。でも、死ぬほどうれしいクッションの利いた椅子に腰を下ろしたら、すぐにそれも消失した。無事に戻れるという安堵感の方が勝ったのだ。
ぼんやりと車窓を眺めながら数日後にここを走る自分の姿を思い浮かべた。どれだけキツイ坂を上らされるんだろうと心配していたが、長いものの勾配は思っていたより緩やかだった。
目的の停留所でバスが止まる。さっきとは別の安堵感を携えて静かにわたしはバスを降りた。

昨日の時点では今日も清らかな銚子川を風呂代わりにしようと思っていたのだが、うすら寒いので道の駅の多目的トイレを拝借して熊野古道でかいた崇高な(?)汗を流した。
その後は、休憩所の畳の上に上がり込み、記憶が鮮明なうちにとブログの元となる日記をしこしこケータイに打ち込んでいく。
午後6時近くになったところで道の駅を出る。昨日同様、銚子橋の下にテントを張ったあとは、海山での定番スーパーとなったプライスカットへと自転車を走らせる。明日は午後から雨の予報。テントから出なくていいようにとごっそり買い込んだ。
2割引になっていたおむすび弁当を食べながらのどごし生(限定醸造)の晩酌。消費したカロリーを取り戻すかのように、ちくわ、ソーセージも。明日用に買っておいたチップスターにも手を伸ばしたら、さすがにお腹が膨れた。
午後8時、就寝。体勢を変えると、早くもふくらはぎ、太ももの表などが筋肉痛になっていることに気がついた。指で押したりして軽くマッサージ。
でもこれも一生懸命歩いた証だよなあ。ある意味勲章なのだ。
そう思ったらなんだか誇らしい気分だった。

5.旅59日目 6月28日(日) 三重県紀北町(紀伊長島)→三重県紀北町(海山)

午前4時40分、目が覚めたときにまず思ったことは、「今日は移動したくないなあ」ということだった。スーパーは近いし、今のところ管理人や住民から追い出されることもない。また、たこ焼きおばちゃんという知り合いもできたので寂しくもない。ここ紀伊長島は、けっこう居心地がよい場所になっていた。でもわたしにしては珍しく今日はどうしも先へと進まねば。明日、熊野古道・伊勢路の中で随一の景観を誇ると言われている馬越峠を通るルートを歩きたいのだ。というのも明後日から天気が下り坂に向かいしばらくは雨模様。今日のうちに登山口にほど近い道の駅「海山」まで移動し、明日中に登り終えておきたいのである。
2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」、つまり、熊野三山と呼ばれている速玉大社、本宮大社、那智大社と、それらに詣でる5つのルートからなる参詣道、それに高野山、吉野山が世界遺産に登録された。熊野古道とは、この5つのルートの参詣道「大辺路、中辺路、小辺路、伊勢路、大峯路」のうち大辺路、中辺路、伊勢路を総称として熊野古道と呼んでいる。せっかくなのでさわりでもいいから、古の人に思いを馳せながら足跡を辿ってみようと思ったのである。というのはカッコつけた言い方なんですけどね。本音は、「世界遺産だから」というミーハー根性が大部分。通る途中にあるし、たまには自転車から離れるのも気分が変わっていいだろうし。とはいえ、予定があったり、先を急いでいたらとてもそんな気にはなれなかっただろう。これものんびり旅だからできる芸当なのです。
一昨日は、予報どおり終日雨だった。時折風が吹いてテントを濡らすこともあったが、かけるとテント内部が暑くなるフライシートを引っ張り出すほどではなかった。その日は、予告どおり思う存分寝た。夕方まで三度寝くらいしてやった。そんなすっかりくつろいでいた最中、とっても感激した出来事があった。雨が降りしきる中、例のたこ焼きおばちゃんがわざわざわたしのために手製の弁当を届けてくれたのだ。すでにポテトチップスのファミリーパックなんぞ食べて腹が膨れていたので次の日の朝食に回せざる負えなかったが、それはそれは涙が出るほど美味しかった。おにぎり、豚肉炒め。いくらお金を積んだって手に入れることはできない。スーパーで売られているものでは到底太刀打ちできない。やっぱり心のこもった手作りっていうのがいいんだと思う。
そして、昨日の夕方、別れの挨拶も兼ねてタッパーの返却に足を運ぶと、どうせ捨てるからと言ってまたしてもたこ焼きをいただいた。
二日連続のたこ焼きパーティー。なんだかありがたくて泣けてきますね。実際、別れ際、泣きそうになりました。
わたしの旅の楽しみの8割は、こうした人との出会いだ。ときには思わぬ優しさに触れたり、またときには未知なる世界の扉を開くきっかけを与えてくれたりする。幸せは、すべてを人を介してやって来るのではないだろうか 。そんなまだ見ぬ人との出会いを求めてわたしは今日も見知らぬ土地を旅する。
ところで今朝は、午前5時から女子ワールドカップ。なでしこジャパンの準々決勝、対オーストラリア戦が行われる。これに勝てばベスト4入りが決まるという、わたし自身非常に楽しみにしている一戦だ。
それなのに、だ。テレビの電波がキャッチできないとはどういうわけか。昨日それが判明した。場所を変えれば映るかと思い、道の駅でも試してみたのだが、やはり「このチャンネルは受信できません」と虚しく表示されるばかりであった。えーっ。だって役場から一キロも離れていないんだよ。そんなことがあんのかよ。観る気マンマンで、そして何の疑いもせずにワンセグ観戦できると思って紀北町にやって来ただけに、この思わぬ事態には心底落胆した。
移動日は早朝から走り出すのが常であるが、今日の野宿場所は道の駅でほぼ確定しているし、2時間ほどの道のりなので適当な時間に出発することに決めた。着いた道の駅よりここの方がのんびりできると思ったからである。ちなみに、目的地の道の駅がある海山地区は旧海山町のこと。10年前の2005年に旧紀伊長島町と合併してできたのが現在の紀北町なのである。だから移動してもまだ紀北町。
起きるのにはまだ早いので一時間ほどウトウト。目が覚めてなでしこの結果をネットで調べると1―0で勝利!試合終盤にゴールが決まったらしくかなりの熱戦が繰り広げられたようだ。うー。それだけに観られなかったことに余計悔しさが募る。
その後、なんとなくブログの下書きに手をつける。パソコンなんて大層なものは持参していないのでちまちまケータイで。途中からノッてきたのだが、さすがに外から人の声が聞こえてきたらそっちに気を取られるようになった。雨が降っているわけでもないのにテントにこもっていると怪しい人に思われかねない。すっかり集中力が散漫になった午前9時に切り上げた。
ゆっくり撤収してもまだ午前10時。さて、どうしよう。おばちゃんからもらったたこ焼き、半額になっていたパックに入ったチャーシューメン、それにちくわにおかしなどと、昨日の夕食はたらふく食べていたため空腹ではなかったものの、道の駅泊が続きそうなこの先、しばらく自炊できないということもあり急に素麺が食べたくなった。10分ほどのオークワまで買いに走る。ところでここのオークワ、現在の閉店時間は午後11時なのだが、以前は午前0時だったという。「こんな田舎なのにね」まるでわたしの気持ちを代弁するかのような、店員のおばちゃんのこの言葉には、お互い苦笑するしかなかった。
ツルツルっと素麺を食べ、 パッパッと片付けを終え、暑さが増してきた午前11時過ぎ、4日間お世話になった東屋にそっとを手を合わせて出発した。

開店直後のたこ焼き屋の前を通りかかる。額に汗を滲ませ慌ただしく作業するおばちゃんに今一度別れを告げ、目的地の道の駅まで付き合うこととなる国道42号線へと入る。
いきなりの坂道が足に重くのししかかるものの、回すペダルは思ったより軽やかだった。三日間移動しなければ完全に疲労は抜けるのだが、これなら二日間でも大丈夫のよう。雲の灰色より若干青が多い空であるものの思ったより暑さも感じない。この調子なら、今日も景色を堪能しながら走れそうだ。
時折、潮風漂う海を目にするものの、今日もほとんどが、見上げるほどの高さの山に挟まれながらの走行となった。
それにしても面白いよなあ。わたしは感慨深げにひとりごちた。片側ならまだしも、海がすぐ近くというのにこれほどまでに両側から山が迫り来る道なんて他にあるのだろうか。いきなり連れてこられてここが長野県だと言われてもちっとも疑わないような場所なのである。
そう思ったらだんだん笑いが込み上げ、一人ニヤニヤしてしまった。間違いなく対向車からは変なヤツだと思われているだろう。重装備の自転車だけでも驚きなのに、さらにその自転車で笑いながら坂道を上ってくるんだもんなあ。気が触れたかと思われても不思議ではない。でも今は、そう思われても構わないくらい楽しい気分でわたしはペダルを踏んでいた。
そうそう、わたしは坂を上るときはできるだけ苦しい顔をしないように心掛けている。苦しいときは苦しい表情をするのは当たり前過ぎて面白くないという天の邪鬼気質、同情されたくない意地、自分が好きでやっていることだから楽しんでいたいというある種の見栄。理由はそんなとこなのかなあ。ひっくるめて言うと、きっと変なプライドがあるんだと思う。
道中、雄大な山の景色に圧倒されっぱなしだったが、とりわけ往古川に架かる橋から見る風景はまた格別だった。
両側に白い石河原を従えた川に沿うようにして、緑の山並みが果てしなくどこまでも広がっていた。それは、以前写真でしか見たことのない上高地を思い出させるものだった。
流れ行く景色に、いつしかわたしの心は、感動でうち震えるようにまでなっていた。
後年、紀伊山地と言えばこの風景を思い出すだろう。ここまで感動するとは夢にも思わなかった。
自転車の旅ブログでの紀伊半島に関する記述では、そう書くのがまるで常識であるかのように道の過酷さばかり強調しているが、是非ともこういった景色の素晴らしさにも触れて欲しいものである。
そんな楽しみながらの道のりだったため、「道の駅まで3キロ」の標識を目にしたときには、「もうここまで来たのかよ」という思いを強くした。一ヶ所、やや嫌気が差しただらだらと続く長い上り坂を除けば、苦労するどころか、快適な道のりではなかっただろうか。
ただし、トンネルだけは怖かった。短いながらも多くのトンネルをくぐり抜け、あとで地図で確認したら5つもあった。
たしか3つだったか、車道とは別に歩道トンネルが設けられているところがあり、見つけたときにはそれはもう跳び上がらんばかりにうれしくなったのだが、反対に、どこを見渡してもその姿が見当たらないときは、「チェッ」と舌打ちしながらガックリ肩を落とすのが常だった。
もうそのときは覚悟を決めて突入。背後から迫りくる車に「どうか間隔を空けて走ってくれますように」とすがるようにして祈りを捧げながら通過するのを待つ。車の気配が大きくなるにつれ心臓の鼓動もおのずと高くなっていく。その祈りが通じたときは「なんて優しいのか。ありがとう!」と一声かけたくなるが、減速もせずにかすめるようにして走り去ると、「そんなにスピード出すことないでしょうに」と文句の一つも言いたくなる。
トンネルを抜けるたびにホッとする安堵感はもちろんあるのだが、それと同時に神経がすり減っていくのもまたわたしは感じていた。

今日の食料と、明日の熊野古道ウォーク時の行動食、そして念のためテントが張れそうな公園を求めて立ち寄った相賀集落は、想像以上に栄えている街だった。事前情報としてスーパーが二軒あるのは知っていたが、その他にもコメリ、コインランドリー、カラオケ屋、スナック、ドラッグストアのモリヤマ、サークルK。思いの外多くの人が住んでいるようである。
何はなくとも公園チェックだ。川を渡った先にそれがあることは紀伊長島の観光案内所でもらったイラストマップで確認済みなのだが、詳細な場所がいまいち把握しきれないでいた。
路地でトレーニングに励む消防士に教えてもらうも、すぐに却下。なんでも高台にあるというのである。さすがに重い自転車を押してまで上がる根性はない。イラストマップに丘の絵が描いてあったので嫌な予感はしていたのだが……。
予定変更。明日以降のここでの公園泊は諦め、誠に不本意ながら明後日は雨が降り出す前に峠を越えて尾鷲市入りすることに決めた。今日の海山までの移動、明日の熊野古道、そして明後日の尾鷲市までの移動と、わたしにはちょっとばかりキツイ、また滅多にない三日連続の活動となるが、大した距離ではないのでまあ、なんとかなるでしょう。
スーパーで買い出しを済ませた後は、本日の野宿場所に決めた、ここからほど近い道の駅へと向かった。
途中にあった橋の上から何の気なしに下を覗いてみると、目が釘付けになるほどの清流が流れていた。底まではっきりと見透せるほどの透明度を誇るその川は、エメラルドグリーンやスカイブルーが混ざりあったような形容しがたい色をしており、太陽が反射してキラキラと輝く様は、まるで宝石を見ているかのようだった。
川に引き寄せられるかのように河川敷へと自転車を乗り入れる。無造作に草が生えている中を足元に注意しながら分け入り、透き通る川に足を浸したら、思いの外冷たくてびっくりした。キュッキュッと俊敏に動くクッキリと見える黒い小さな物体。なんだろうと思ったらそれは川魚だった。
そっか、ここが銚子川か。紀北町入りした日に訪れた、観光案内所のお姉さんから銚子川の中流域に広がる、「魚飛渓」という巨岩が織り成す美しい渓谷を勧められていた。日本有数の降雨量を誇る大台ヶ原を源とし、全長わずか17キロの銚子川は、約1400メートルの標高から山中をよどむことなく一気に流れ、集落付近からゆるやかに熊野灘を注ぎ、その透明度は「奇跡」と称されているそうである。
そして、ここから道の駅はすぐだった。国道に戻り、数回漕いで現れた、「道の駅まで600メートル」の標識に力を得て、今日の行程を無事終えた。
テントを張るための軒下さえあればそれでいいとさして期待を寄せずにやって来た道の駅「海山」であったが、予想外に快適に過ごせそうで思わず笑みがこぼれた。嬉しさのあまり小躍りしたくなったほどだ。「情報・休憩コーナー」なる建物の中に、8畳ほどの広さの小上がりがあったのだ。他にも、まるで棺桶のような、大人一人が横になるにはちょうどいい大きさの畳がはめ込まれたベンチが数台。丸テーブルとそれを囲む椅子も数セットあった。
まだ午後2時半のこれからもそうだし、昼くらいには終える予定の明日の熊野古道ウォーク後は、どこで疲れた体を休めようかと、実はちょっぴり思案の種だったのだ。でもここなら思う存分手足を伸ばしたりできる。しかも、観光パンフレットが置いてあるだけで職員は誰もいないし、日曜日だというのに、まるでその存在が忘れられているかのように入ってくる人はほとんどいない。わたし一人でいた時間の方が長かったくらいである。
しかも午前8時30から午後7時までのロングタイムだ。明後日、やはり疲労が残った状態で峠を越えるのは気乗りがしない。またまた予定変更し、天気が思わしくない数日間は道の駅で泊まって、日中はこの小上がりでゴロゴロしよう。そんなアイディアも思わず頭に浮かんだ。
車でやって来る、ちょっと立ち寄るだけの観光客にとっては大した価値はないのかもしれないが、その日の寝床にも頭を悩ませる長期の旅人にとってここはまるで天国のような場所なのだ。
その小上がりに寝転がって、今朝手をつけたブログの下書きなどをして午後5時までのんびり過ごした。
ついさっきまでは今日は道の駅泊と決めていたのだが、さっさと横になりなかったし、早くても午後7時以降にならないとテントが張れないということもあり、予定変更して銚子川の橋の下に張ることに決めた。

太陽が今日一日の役目を終えたかのように川の麓の山の向こう側に消えていく中、テントを設営。伊勢でさんざんお世話になった宮川の度会橋に比べてしまうと、こちらの銚子橋はずいぶん小ぶりだが、雨も強風を伴わなければさしたる支障はないように思える。
明らかに長期間手入れされていないことがわかる伸び放題の草。散見する古くなったゴミ。どうやら管理して定期的に掃除をしに来る人はいないよう。わたしが忌み嫌う夜の花火はもちろんのこと、どこか漂う寂寥感からも、人を集めるような場所ではないようでホッとした。だからこそ、人目も気にせずに明るいうちからこうして堂々とテントを張ることができた。
最近はすっかり毎晩の晩酌が定番化。アルコールを求め、昼間買い物したスーパーへと自転車を走らせる。あらかじめそうとわかっていたら、わざわざ重装備の自転車にさらに食料を加えて重くして来ることもなかったのだが、あのときは道の駅で泊まるつもりだったからまあ仕方ない。
テントに入り、スナック菓子をつまみながらのどごし生。
明日歩く熊野古道に思いを馳せながら眠りについた。
屋根代わりとなる橋の上からは、時折、車の走り去る音が聞こえてくる。

4.旅56日目 2015年6月25日(木) 三重県大紀町→三重県紀北町(紀伊長島)

枕元にあったケータイの電源を入れると、ディスプレイは午前5時ジャストを表示した。テントの中から外を覗くと、瀧原宮の森が駐車場にせりだすようにして茂っているのが視界に入った。天気は曇り。見える山々の上部を隠すように靄がかかっている。
テントから出るなり撤収作業に取り掛かった。今日は次の街の紀北町に向かうからだ。結局、大紀町には5日間滞在した。まずこんな旅人はいないだろう。
充分のんびりした、と言いたいところなのだが、実は、あの夢のような東屋から追い出されていた。ということもあり、現在いるのはすぐ近くの道の駅。こっちに避難してきたのだ。
図書館もドコモショップも休みの一昨日の火曜日、一日テントの中でくつろごうと思っていたわたしは、トイレへ行こうとテントを出た。時刻はとっくに日の高い午前10時半。戻って来ると、東屋から降りてきた芝刈り作業に来ていたおじさんに、「ここでテントを張らないで。子供たちが遊ぶから」と憮然とした顔で注意を受けたのだ。言っていることは間違っていない。おとなしく荷物を片付け、わたしは道の駅へと移動した。夜は誰も来ないので、夕方戻ってまた張ればいいやと思いながら……。
ところが甘かった。おじさんが帰ったと思われる午後5時、公園に向かっている途中、なんというバッドタイミングなのか、おじさんの乗った軽トラとすれ違ってしまったのだ。わたしを見るおじさんのこれ以上のない不機嫌な顔といったらそりゃもう……。ヤバイと思ったわたしはUターン。すると同じくおじさんも道の駅でUターン。なんと公園隣の民家の横に軽トラを停めたのだ。そう、わたしがやって来ないかと見張るために……。
おいおい、そこまでやるかあ?
おじさんの執拗さに背筋がゾクッとするような不気味さを覚えつつ、わたしは呆れ果てた。
とはいえ、正直また怒られたくはないのでまた道の駅で待機。30分後、自転車に乗って、わたしは再度公園へ向かった。無論、軽トラがないことはすでに確認ずみである。
ところがおじさんはしつこかった。公園の駐車場に見知らぬ一台の軽ワゴンが停まっていたのだが、なんとそこにおじさんが乗っていたのだ。そう、わたしを欺こうとわざわざ車を乗り換えてまで監視の目を光らせていたのだ。
「またここに泊まるかんい!」わたしを視界に収めるなり、親の敵でも見つけたかのような憎悪の視線を向けてくる。「ここに泊まるのやめてぇなあ!」そして、怒りの表情で吐き捨てるように叫んだ。「河原でも行けばいいやろ!」最後は思いっきりキレていた。
唖然。呆然。わたしは真っ赤になったおじさんの顔を見ながらしばし立つ尽くしていた。そこまで執拗にする理由がまるでわからなかったからだ。ただ、どうしてもわたしに泊まって欲しくないことだけはよくわかった。それと、いかに怒り狂っているかということも。でもさあ、そこまでムキになって怒鳴らなくたっていいだろうが。正直、そんな釈然としない思いもあった。
よし、こうなったらこっちも意地だ!あとで再度チャレンジだ!なんてことは思わないわけでもなかったが、あのおじさんのことだから、三度目もありそうだしなあ。そう思ったら途端に気が萎えました。そこまでして泊まろうとは思わない。
諦めて道の駅に戻り、ベンチでぼんやり。それからしばらくの間は、疑心暗鬼に囚われた。目にするすべての人がわたしに何か文句を言ってくるのではないかと思ったのだ。無意識に軽トラを見つけたら身構えている自分もいた(で、改めて意識すると軽トラって多いんですね)。理由はともあれ、怒られて気分がいい人間はいない。
しかし、捨てる神もいれば拾う神もいた。
日没を迎えた道の駅の軒下で、やや気落ちしながらテントを立てていると、声をかけられた。ちょくちょく道の駅を回ったりしているという旅好きの中年カップル。それぞれ、男性は松阪、女性は伊勢に住んでいる。どちらも滞在したことのある街なのでわたしは一気に親近感が湧いた。そこだけ灯りが灯されている、ウッドテラスに場所を移して歓談。このあたり唯一の店である、同じ敷地内にあるヤマザキショップで買ってきたお弁当やお茶もごちそうになった。二人は、気さくすぎるほど気さく。結局、約6時間、午前0時まで語り合うほど楽しい一夜となった。
昨夜のささやかな宴を頭の中で回想するも、今はうって変わって憂鬱な気分である。さすがに今日こそは厳しい道のりが待ち受けているはず。どれだけ坂に苦しめられるのかと思うと気が重いのです。気乗りしないせいか、いつもより準備に時間がかかってしまう。ここにいれば辛い目に遭うこともない。しかし一旦走り出せば、否応なしに厳しい坂と対峙しなければならない。こんな軟弱な自分がよくもまあ自転車旅を続けられているんもんだと殊更こういうときは思う。

午前6時20分、朝食の缶詰のパインを胃の中に入れ、覚悟を決めて走り出す。
しばらく進むと、暗い気持ちが引き寄せたのか、予期せぬ不運に見舞われることとなった。ハンドルをしっかりと支える左の二の腕に、なんとカラスが糞を命中させてきたのだ。まさかそんなものが空から降ってくるとは夢にも思わなかったので、最初は雨が落ちてきたのかと思ったのだが、視線を左にずらすと水彩絵の具の白と黒が混ざったような液状の半固形物がべっとりくっついていた。うわー、なんじゃこりゃー。
しかしこれが人の優しさに触れるきっかけとなるから世の中ってわからないもん。ザックから取り出したウェットティッシュで汚物を拭き取り、今日のお供であるスプライトで一息ついていると、道を挟んだ向かいの民家から一人の老婆が現れた。「カラスに糞を落とされたんですよー」と左腕を指しながら軽くアピールすると、家の中からわざわざタオルを手にしてこっちまで来てくれたのだ。深く礼を述べ、差し出されたタオルで今一度二の腕を拭くと、「タオルを持ってきただけじゃろ。気にせんでもいいから。よかったら持ってきんしゃい」と渡そうとしてきた。しかし、そちらは丁重にお断りした。できる限り荷物を増やしたくないもんで。「ここに6年いるけど、こんな自転車、はじめて見たわ」と目を丸くして驚いてくれたことはなんだか嬉しかった。おばあちゃん、今日一番の思い出になったでしょうか。

今日も相変わらず国道42号線の路肩は狭かった。歩道を見つけると、逃げ込むようにそちらへと駆け込む。しかしこれが、左にあったり右にあったりと一定しないので道路を右往左往するのに大忙しである。車列が途切れるタイミングを待って急いでペダルを踏んで渡りまくる。それでもそこまでする価値はあった。ガードレールに守られているおかげで周囲の景色を充堪能することができたのだ。
ほとんど、ところによっては視界の9割5分を山が占めている。日常生活でここまでマジマジと山を見る経験なんてまずない。旅先でなければしなかった行動だ。
それにしても、圧倒されるというか、自然の偉大さを実感するというか。また、予想外に目にした田圃と山のセットの風景は、小学生の頃の夏休みを思い出させ、「これって、日本の原風景じゃなかろうか」という久しく忘れていた感想も抱かせた。白くうっすらと朝靄に煙る山々も実に絵になる風景なんですよ、これがまた。
道は次第に大内山川に寄り添うようにして延びるようになった。「大内山」という名前はすっかり覚えた。大内山牛乳というのがこの辺りの名産品らしく、牛舎や酪農工場、はたまた「大内山牛乳」と名前の入った巨大牛乳パックの精巧なオブジェをなどを目にしていたのだ。
また、「大内山動物園」も。「おいおい、こんな山の中に動物園?来る客いるのかよ?」と失礼なことを咄嗟に思ったわたしであるが、案内看板は思いの外綺麗だった。どうやらまだ潰れてはいないようです(失言連発、すいません)。

午前8時、寄り道になるが、国道を外れて頭之宮四方神社(「こうべのみやよもうじんじゃ」と読みます)へ向かう。時間や体力に余裕があったというのもあるが、児童の登校を温かい目で見守る緑のおじさんの「800メートルだから」という言葉に深く安堵したというのが一番の理由。さすがに一キロを越えるとなると行ってはいない。
古い民家が建ち並ぶ住宅街を抜けた先に、頭之宮四方神社はあった。ここは、頭に関する諸祈願に御神徳のある神社として人々の信仰を集める、日本で唯一、「頭之宮」と名付く神社とのこと。ちなみに、「四方」とは東西南北の四つの方向を指し、四方八方まで隈なく御神徳が広がることを意味しているそうである。
で、そんなことよりもわたしは、自然の御手洗場にすっかり魅せられていた。味気ないコンクリート造の社殿にややがっかりしていたのだが、渓流を利用した御手洗場では実に美しい景観が作り出されていたのだ。荒々しい岩から伸びる草木の梢が空を覆い、その下では、ほどよい岩が配置された中、穏やかで透明度の高い川が、所々、白波をたてながら流れていた。昨年訪れた青森の奥入瀬渓流に匹敵する美しさ。内宮や瀧原宮のより、わたし、こっちの御手洗場の方が好きだなあ。これだけでも見に来る価値は充分あるでしょう。オススメです。
飲めば内より罪・穢れ・厄を洗い流して活力を与えられるという「頭之水」をせっかくだからと口に含み(意外にも美味しくなかった)、祈りを込めて撫でるとストーンパワーが得られるという「頭之石」をしこたまさすったりして、後にする。

国道に復帰。、わりかしここまでは、「うわー、この先これが続くと辛いなー」と暗澹なる気持ちになった早朝の上り坂を除けばするすると順調に来た。意外と平坦部も多かった。しかしここから3キロほど行くと大内山川から離れていく。どうやら今日の勝負は後半のようである。いよいよキツイ上りが始まると予想されるので今一度気を引き締めにかかる。
ところが、緩やかなアップダウンがあるものの、これまでとあまり変わり映えせず。そうこうするうちに「荷坂峠」の標識が現れた。そこをすんなり上りきってしまう。
え?たったこれだけ。「荷坂峠」としっかり地図には記載されてある。今日一番の難事業だと意気込んでいた。それだけに拍子抜けの感は否めない。まあ、楽に越したことはないから文句はないんだけどさあ。
しかしすぐに合点がいく。目の前の荷坂トンネルの脇に、「熊野古道 荷坂峠」の標識を見つけたからだ。その背後には、立ちはだかるようにして険しい山が聳えている。
そうですよね、本来の荷坂峠はこの山を越えないといけないんですよね。あー、よかった、トンネルがあって。
そのありがたいトンネルを抜けると、左手にパーキングエリア。自転車を乗り入れると、口から思わず感嘆のため息が漏れた。はるか彼方、折り重なるようにして広がる山々の間から久しぶりの海が見えたからだ。
おお!熊野灘だ!
そしてまた、深い感動も。今いる場所がけっこう標高が高く、伊勢から地味に上らされていたことに気づいたのだ。いつの間にやらこんなにも上っていたんですね。なんだか自分を褒めてあげたくなりました。
さあ、ここらは街中まで一気に下るぞ!車を来ないことを確認してから勢いよく車道へと飛び出す。重装備の自転車なので一気に加速。転倒でもしたら大事故につながりかねないのでいっときも気が抜けません。地図から充分予想がついたように次から次へとヘアピンカーブが迫ってきた。ブレーキワークに細心の注意を払いつつ緊張感を保ちながら下っていく。
コーナーリング技術はないのでうまく路肩を走ることができない。車気分で道の真ん中を走ることを思い立ち、実行に移す。ところが風圧がすごくて後ろから迫りくる車の走行音が聞こえないため危険と判断。おとなしく目一杯ブレーキをかけ、壁に添うようにして下っていくことにした。それにしても逆側から上ってきたならさぞかし死ぬ思いだったろう。こわー。考えただけでぞっとする。

大きな池を有した臨海公園が隣接する、道の駅「紀伊長島マンボウ」に到着したのは、午前9時40分だった。寄り道を含めたおよそ28キロの行程に3時間20分要した。
平坦区間がけっこう長かったりしたこともあって、正直、思っていたほどキツくはなかった。というか、むしろ楽しく感じられた。やっぱり意識して景色を楽しんだことが疲労を軽減させてくれたのだろう。なにより5日間体を休められてフレッシュな状態で走れたことが大きい。それが楽しむ余裕につながったのだ。ひとつの街に数日滞在するのには、きちんと疲れを抜いた状態で走りたいという思いもある。
観光案内所でおすすめスポットを訊いたり、パンフレットを手に入れる。そして、一番気になっていた、道の駅の名前にもなっているマンボウについても尋ねた。積極的に漁をしているのかと思ったら、なんでもたまたま定置網に引っかかるのだそう。道の駅ではそれを料理にして出したり、ときには街のスーパーの店頭にも並ぶこともあるのだという。肝心の味の方を聞きそびれてしまったが、ユーモラスな図体から推して知るべしかな。興味ある方は、自己責任でどうぞ。
観光案内所でもらった地図を片手に、三つあるスーパーの場所を確認がてら街を散策することに。人口2万人を切るだけあって小さな街だ。駅前はシャッター通りかと思いきや、そもそもそのシャッターを下ろす店がないだもんなあ。
道路を挟んで、三つのスーパーの中で一番新しい外観のオークワの前に向かいに店を出しているたこ焼き屋のおばちゃんが、自転車にぶら下げている看板に興味を持って声をかけてきた。これも何かの縁。昼食をたこ焼きで済ませようと思い、注文前に立ち話。しかし、客が続々とやって来て忙しくなったのでまたあとで来ることにした。
散策のつづき。とはいっても、図書館に行くの目的ですが。
ところが途中で道を間違ってしまう。川を渡った先で細い路地に迷いこんでしまった。あちゃー、どうしましょ。
でもそのおかげで、崩落防止のため山肌がコンクリートで固められた高さ50メートルはありそうな崖に、張り付くように設置されてある階段を発見した。近くにいた人によると上れるそう。「眺めいいよー」とのことなので寄ることに。
で、頂上からの景色はなかなかのものだった。
前方には、すでに競りを終え閑散とした漁港市場、その隣は、「なぜわざわざループ橋にしたんだろう?」とささやかな疑問を抱かせる江ノ浦大橋、右手には、肩を寄せあうようにして並び建つ古い民家の数々、そしてはるか左手には、養殖筏が浮かぶ入り江も見えた。
ひとしきり景色を堪能したところで、図書館へ。多目的会館の二階にあるとのこと。
ところが着いてみると、入り口の自動ドアに何か札がかかっていた。うわっ、休みかよ。と焦りながら書かれてある文字を読んでみると、なんと「12時から13時まで閉館」とのこと。うへっ。昼休みのある図書館なんてはじめて見たぞ。
40分ほど待つ羽目に。職員が2分前に車で駆け込んできた。どうやら細かいことは気にしない性格なようで、車は斜めに停めていた。
入った図書館は、学校の図書室を思わせた。じめっとした薄暗い、教室の半分ほどの空間には、どこか懐かしいスチール製の棚に本がひっそりと並んでいた。
ネットがしたくてやって来たのだが、生憎パソコンは置いてないとのこと。それじゃあ、DVDでも観ようかと思ったら、エンタメ作品は、図書館だからということなんだろうが、『図書館戦争』しか置いてなかった。あとはお堅いものばかり。さて、どうしよう。でもわたしの最も苦手とするリアリティーに欠けるストーリーなんだよなあ……。
しばし思案して図書館を出る。すると、いつのまにか霧雨。あーあ。再び思案。結局観ることにした。
で、案の定、物語に入っていけない自分。どうして国民の税金を使って公務員同士が戦争をやるわけ?なーんてことを言う人はそもそも観る資格がないんですよね。ほら、しょせん娯楽作品だから。そんな真面目に考えちゃいけないのよ。
というわけで、後半あたりからケータイでブログの下書きをしながら斜め観。榮倉奈々ちゃんは可愛かったですけどね。

午後4時半、雨上がりの下、たこ焼き屋へとやや急ぐ。5時閉店と聞いていたから。
着いたたこ焼き屋では、てんてこ舞いだったさっきとは打って変わって、おばちゃんは椅子に座って暇をもて余していた。
というわけで雑談のつづき。わたしの旅の話、おばちゃんの身の上話、話題は多岐に渡った。中でもわたしが強く興味を引いたのが、言葉遣いの相違である。同じ紀北町でも、街中に住んでいる人と違って漁師町の人たちの言葉は荒いのだそうだ。昼に話をしていたとき、30前後のヤンキー風のあんちゃんが買いに来たのだが、その言葉遣いに正直わたしはビビってしまった。三重県ではじめて耳にする荒っぽい言葉。なんだかそばにいると叱られているような気分になるのです。おばちゃんいわく、悪気はなく思ったことをそのまま言っているだけとのこと。あと声が大きいことも特徴だそうだ。とはいえ、やはり通りすがりの旅人はなかなか慣れませんね。そういえば、図書館の職員もなんだか不機嫌そうというか怒っていたように感じたのだが、きっとあれも普段どおりだったのだろう。「気にしないでいいから」とおばちゃんに慰められました。
あと、たこ焼き屋に向かう途中で、下校中の小学生から「なに、あの自転車!」と率直な感想を叫ばれたが、これも他の三重県の街ではあり得なかったこと。これも悪気はないんでしょうが、こっちはえらく恥ずかしかったぞ。こうして、ただ通りすぎるだけでなくて、その土地ならではのことを知れるのが自分にとってはとっても楽しいことなのである。
ともあれ、ようやく注文。この時間だから夕食にするつもり。時間経っても美味しく食べられるということで、揚げたこ焼きを勧められた。普通のたこ焼きを油で揚げるという斬新なもの。外はカリッ、中はフワッとですか。2個おまけしてくれての12個。わーい。うれしいなー。と喜びの声を上げていたら、なんと普通のたこ焼きもタダで頂いた。結局、計24個!ええ!いいんですか!めっちゃうれしいんですけど!「やったー!今夜は一人でたこ焼きパーティーだー!」と言ったら笑われました。こんなにも一度にたこ焼きを食べるのは生まれてはじめての経験なのでテンションが揚がっちゃったんです。

今夜の寝床は道の駅に隣接する臨海公園。道の駅のそばには、はじめて目にするコンクリート造のいかにも頑丈そうな東屋があり、はじめはそこにしようと思ったのだが、池の対岸にごく普通だが広い東屋を見つていた。目の前が住宅街なので、夜でも車が来る道の駅そばと違って静かだろうということでこちらを選んだのだ。
それにしてもここは、いっぱしな街であるにもかかわらず、海がすぐ近くのわりには両側に山が迫るという特異な場所だ。ちょっと顔を上げれば否応なしに視界に山が入りこんでくる。それも間近。こんなところはじめて。これも実際に来たからわかったこと。こんなことが知れるのも旅の醍醐味でありますよね。
午後7時、オークワで発泡酒をなどを買って戻り、テントを設営。本当はいつものようにもっと早い時間にしたかったのだが、あんまり明るいうちからやると目立って近隣住民に注意を受けるかと思い自重した。先日の一件が軽いトラウマになっているんです。
時折、ウォーキングの人が通っていく中、張り終える。「テント設営等キャンプ禁止」の張り紙は見なかったことにしました。許してね。今回はそう長くはないからさ。
さあー!たこ焼きパーティーだー!
テントの中に入り、発泡酒片手にムシャムシャ。揚げだこは辛味が利いていてわたし好み。普通のたこ焼きももちろんグッド。さすがにたらふく食べたらちょっと胃がもたれましたけど。
午後8時、横になったら途端にウトウト。実は、昨晩の道の駅では熟睡できないでいた。突然、そばにあった冷蔵庫のモーターが狂ったようにうなりを上げたり、また、どこからかともなくポンプで水を汲み上げるような豪快な音がしたり。それらが一定の間隔を開けながら続いていたのだ。しかも板張りの床にテントを張っていたもんだから、振動が体に響く響く。
明日は一日中雨の予報なのでテントの中で引きこもることを決意。どんだけ寝てもかまわない。そう思うだけで幸せな気分。
本格的に寝る体勢に入る。いつも枕がわりにしているフライシートが入ったテントバックの上に頭を載せ、そしてゆっくりと腹の上で手を組む。
寝不足と久しぶりの移動のためか、すぐに眠りの中へと落ちることができた。
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